お米の起源や歴史をご紹介!

稲の伝来から現代の生産まで解説

日本人がお米を食べる理由が気になる方もいるでしょう。理由を知るには、お米の歴史を学んでみてください。米をめぐる社会の動きから、食べ物の奥深さを学べます。歴史を知ったうえでお米を食べると、ありがたく感じるでしょう。 今回はお米の歴史が気になる方のため、その成り立ちを紹介します。お米を通して教養を育てれば、食べ物の重要性がわかるでしょう。

1. 日本の米の起源とは?

日本の米の起源は諸説ありますが、中国の福建米が有力です。これには赤長米という別名があります。日本米に対し肥料を与えないで放置すると、色が赤くなるからです。
赤長米は、3000年ほど前から栽培されていました。これは縄文時代にあたります。少なくとも現在の福井県では、赤長米の栽培が見られました。日本の米の原点は赤長米で、そのルーツは福井県で確かめられています。

2. 米から見る日本の歴史

米から日本の歴史を見てみると、その成り立ちがわかります。最初は稲の伝来でした。そのあとは支配道具としての利用を経て、農地拡大による発達を受けています。米の歴史を見ていきましょう。

2-1. 稲の伝来

米文化の始まりは、稲の伝来がきっかけとされます。世界初の稲栽培は、約7000年前のインドや中国などが有力です。縄文時代の後期に、稲作文化が日本に伝わったとされます。
また稲作の伝わり方にも、3つの有力な説があります。まずは中国北部から北九州に伝わった「北方ルート説」です。2つ目は中国華南地方から九州に伝わった「南方ルート説」になります。最後は揚子江(長江)下流の南方民族が、北九州へ動いたことによる「揚子江・東シナ海ルート説」です。
日本の米文化の始まりにも諸説ありますが、中国から九州へ伝わったとされます。

2-2. 米が社会の基盤になっていた

歴史のなかで、米は社会の基盤になりました。稲作農業がある程度完成された古代から、米を中心に社会が回っているからです。つまり米こそが、現代のお金の役割を果たしていました。
日本の社会化は、米栽培がきっかけとされます。米栽培の共同労働や農村共同体などが、現代社会のルーツだからです。つまり古代では、米づくりこそが社会貢献の象徴でした。古代の米は食べ物だけでなく、社会活動に欠かせない存在です。
また江戸時代まで、米は富と権力の象徴でした。米自体が栽培植物のなかでもとくに高収量だったからです。このような背景から、米は経済と生活の基盤にもなりました。昔の米は食べ物としてだけでなく、経済や権力の象徴にもなっています。

2-3. 米は富と権力の象徴にもなった

江戸時代まで米は、富と権力の象徴でした。栽培植物として高収量だったからです。つまりたくさんお米を作れる人が、社会で偉いとされました。
米はときに、日本にとっての負の歴史にもなっています。米の大量生産で社会格差が大きくなったからです。ここから米や農地の奪い合いも起きました。
江戸時代には米商人が現れ、米相場を決めて経済に貢献しています。ここから日本は町人文化に移りました。そして明治時代に入ると、1873年の地租改正で税が米からお金に変わります。1871年の新貨条例による「円」の誕生もあり、米がお金の代わりになる文化は、この時期に静まったようです。
米は一時お金の代わりになり、人の身分を示すこともありました。しかし地租改正で、その流れが大きく変わったとされます。

3. 現代の米づくり

日本では戦前から戦後しばらくまで、米不足に見舞われていました。しかし近年は生産水準の向上の一方、米の消費量の減少が気になるところです。現代の米事情を見ていきましょう。

3-1. 戦後から生産水準が向上

日本では戦後から、米の生産量増加が目立ちました。戦前から米不足が続いていたころは、小麦の大量輸入でまかなっていました。しかしカントリーエレベーター(貯蔵庫)導入により、米を生産しやすくなっています。
カントリーエレベーターは、米の保存に役立つことから、生産量向上のきっかけになりました。戦後から収穫機械が普及したからです。機械を使えば、稲を大量に刈り入れられますが、それを保管する場所が必要です。そこでカントリーエレベーターが役に立ちました。
カントリーエレベーターは現在、全国各地にあるほか、玄米を消費地に送る起点にもなっています。

3-2. 実は米の消費量は近年減少傾向

近年の米の消費量は、減少傾向です。農林水産省によると1人あたりの年間消費量は、1962年度がピークです。このときは1人あたり118kgでした。しかし2020年度になると、半分以下の50.8kgになりました。
この背景には、食生活の多様化が考えられます。たとえば2004年度以降は、パンの支出金額が米を上回る状況です。さらに日本で好まれる食べ物の種類が、昔より多くなりました。
食べ物の選択肢が広まったことで、米の消費量が自然と少なくなったようです。

4. まとめ

米は日本の歴史に欠かせません。稲作文化の伝来から、日本人にとって米づくりが労働の象徴になりました。そこから米は、現代のお金のように扱われていました。そのため江戸時代までは、富や権力の象徴になっています。 戦後では技術革新により、米の生産量が増えました。しかし1人あたりの消費量は、60年代半ばから減少傾向が続いています。米の歴史を知りながら、一度じっくりと味わってみましょう。 「有限会社原田米穀」では、島根県産のお米「仁多米」を扱っております。産地である仁多郡は、弥生時代中期から稲作が始まったとされ、仁多米にはその歴史が詰まっております。気になる方はぜひご注文ください。